日本初の宝石鑑定士
昭和40年それは湯島にある日本宝石学協会(理事長・今井多一郎)マンションの一室での出来事である。
私と今井多一郎氏との出会いはその時始まったのでした。
私が訪問するやいなや今井氏はどこの会社の者か尋ねられたのであった、ある商社であると告げると ダイヤモンドを持ってきて、私に鑑定しろと言われたのでした。早速ルーペを取り出し「ファインホワイトです」と告げると、何を勘違いされたのか、「お前のレベルはまだ大したことないな」と言われ事務員に鑑定書を持ってこさせ「このダイヤの鑑定結果は」と言いながら鑑定書の表示を見たとき、ファインホワイトになっていたのでした。今井氏は自分の非を率直に認め、私のような青二才に、丁重に謝られたのです。
その謙虚な態度を見た時まさに、この方が日本初の鑑定士であると確信したのでした。その当時、「日本初の宝石鑑定士」というタイトルで週刊誌に騒がれていた人物が今井多一郎その人だったからです。今井先生の功績は沢山あるのですが、現在どこの宝石店でも使われているGIA基準におけるダイヤモンドの表示方法は今井先生が普及されたと言っても過言ではないでしょう。
当時熱心なデパートは三越・伊勢丹・丸井で、協会へよく見えていたことを記憶しています。理想的なダイヤモンドのカットの普及により現在のハート&アローの考え方もルーツはそこから発しているのです。今井先生の功績は今も宝飾業界で生きているのです。
藤原 斎